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阪神淡路大震災追悼ラン

 今日は1月17日なので、今朝は阪神淡路大震災追悼ランをしました。
午前5時半に家を出たときはしっかりと雨が降っていました。
いつもだったら迷わずに止めてしまうのですが、今日は特別なのでウィンドウブレーカを着て
走り出しました。雨は冷たかったのですがそんなに寒くなかったです。
真っ暗な夜道をしんしんと降る雨の中を黙々と行きました。

 そして午前5時46分に立ち止まって西南の方向に向かって黙祷しました。
「阪神淡路大震災で犠牲になった全ての人々に・・・。そして生後4ヶ月で逝った我が娘
明日香に・・・。」



”1995年1月17日、出張先から徹夜で車を飛ばし川西の自宅に着いたのは、午前3時だった。出張中は家内と子供達を芦屋の家内の実家に行かせておいた。ひとり自宅で熟睡した…。
夢を観た。家族が帰ってきたのだ。3歳の静香と4ヶ月の明日香を両腕に抱いていた。
「静香、明日香お帰り…。」
突然の激しい振動で叩き起こされた。そして、何回も何回も揺れた。
阪神淡路大震災だった。
 ふっと心配がよぎる。電話をしても通じない。ラジオのニュースでも阪神地区に大きな地震が発生した、としか情報が無い。取りあえず車で芦屋に向かった。
ところが、道が無い。回れど回れど通行止めだ。連絡が取れない。気持ちばかりがあせる。やっと探しだした山道は大渋滞だった。芦屋まで普段1時間の道のりが6時間もかかった。景色が変わっていた。不安と絶望の気持ちを押さえて実家に着いた、いや正確には数時間前まで家が建っていた場所にだ。全壊だった。気持ちをこらえて近所を尋ねれば、倒壊を免れた向かいの家に全員いた。無事に助け出されていたのだ。明日香を除いては…。
即死だった。この時ほど自分の無力がうらうらめしく悲しかった事はない…。”
(マイホームページ ゆっくり走ろう長い道 「しまなみの熱い1日より」)


 あの日、芦屋市内に入ってからのすさまじい景色に圧倒されました。
倒壊した建物、マンションやテナントビル、姿を変えた家々・・・。
そして、崩れ落ちていた鉄道。
今でも12年前のあの風景が脳裏に焼き付いています。

 1分間黙祷してまた走り出したのですが、目頭が熱くなっていました。
by szsato | 2007-01-17 15:54 | ジョギング
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